宇宙の謎
「宇宙は138億年前、時間も空間もない「無」からビッグバンによって誕生した」とする説、インフレーション理論を世界で始めて唱えた佐藤勝彦物理学博士は宇宙論の第一人者であり、丸亀高校の先輩である。2021年4月5日から5月5月21日までの読売新聞の「時代の証言者」欄の記事、佐藤勝彦著の「宇宙の謎」を紹介するのでご覧になって頂きたい。しかし皆が皆、新聞記事を閲覧できないと思うので、リンクするホームページ「古希の歳を迎えて」にその概要を記載するので参照していただきたい。宇宙理論は難解だが、多少なりとも宇宙の神秘に触れることができると思います。 ビッグバンとは、宇宙は非常に高温高密度の状態から始まり、それが大きく膨張することによって低温低密度になっていったとする膨張宇宙論における、宇宙開始時の爆発的膨張をいう。
「 偉大な佐藤勝彦先輩―インフレーション宇宙理論でノーベル賞候補に」
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佐藤勝彦先輩の『宇宙の研究』
尾崎秀南画伯は香川県丸亀市飯山町(現)に生を受けました。上京し岡倉天心、橋本雅邦、横山大観、菱田春草等が創立した日本美術院で日本画の研鑽を積み重ねました。橋本雅邦に師事し、本郷区にアトリエを構えて東京画壇で活躍していましたが、大正2年の関東大震災でアトリエが灰塵に帰し、止む無く帰郷、丸亀市十番町に居を構え絵筆を振るっていたといいます。戦時下に描かれた郷土の風景画はどれも静かで平穏な雰囲気に満ちています。丸亀市と坂出市の境に位置する 新日本百名山の讃岐富士(飯野山)も描かれています。坂出市の「鎌田共済会郷土博物館」に作品が展示されています。また飯山町の浄楽寺に最近修復された襖絵があります。皆様も訪れてみてはいかがでしょうか。
坂出市府中町は学問の神様菅原道真公が讃岐守として赴任した讃岐国府があったところです。悲運の帝・崇徳上皇が祀られた白峰御陵を始め、上皇の足跡巡りもできます。少し足を延ばせば「県立東山魁夷せとうち美術館」、「四国水族館」も楽しめます。
丸亀は国内シェア九割に上る「丸亀うちわ」で知られていますが、石垣の名城として有名な丸亀城があります。日本百名城で現存十二天守の一つです。駅前にある郷土出身の洋画家の「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」も楽しめます。因みに、三越のあの包装紙のデザインは画伯によるものです。因みに尾崎秀南画伯のお孫さんが丸高41会の尾崎和秀さんです。
第50代天皇の桓武天皇を祖として、三浦姓を初めて名乗ったのが三浦義明である。義明だけは「介」では無く、「大介(おおすけ)」と呼ばれる。国司の長を「守」、次官を「介」という官職名である。地名に付けて三浦介とか上総介という。義明は尊敬の念を持たれていたので、特別に「大介」と呼ばれたのだろう。三浦宗家は義澄→義村→泰村で滅亡する。泰村の弟家村の末裔が美作勝山で生き延びる。
横須賀で縁の清雲寺→満昌寺→咳地蔵→大善寺→衣笠城址→浄楽寺を訪問し、浄楽寺では仏師・運慶により製作された国指定重要文化財の仏像5体を拝むことができた。
江戸城ウオーキングに参加して、江戸城を知る
バスツワーで巡る北陸の見どころを紹介
名城として名高い織田信長の岐阜城
「野菊の墓」の作者・伊藤佐千夫の生家に隣接する山武市(千葉県)歴史資料館を訪ねて
2022年4月に帰省し、丸亀や高松の街歩きをして見たことや、それに姉妹他から耳にした高松と丸亀に関する噂程度の情報等も考慮し、現状の課題をまとめ、将来の姿を空想してみることにしました。
千葉の田舎に居住する自分では移り行く丸亀の街を見聞できないので、2022年に75歳を迎えた人物がUターンして、100歳まで長生きしたとして、その人物の目を通して、25年をかけて変貌した丸亀の姿を空想してみました。
少子高齢化時代を迎えて、県内が高松市一強とならないで、西讃のハブとして丸亀市が興隆して、我が母校・丸亀高校が隆盛することを心より祈念します。
ふるさとや母校に関する皆様のご意見やご提案を、ホームページ「丸高41会」その他に掲載するとか、または瓦版等で拝見できればと期待しています。(2022年11月10日)
丸亀城に関して、果たしてどの位知っているのかと思い、調べてみました。案外知らないことが分かったので、皆様にも参考になるのではないかと思い、まとめてみました。(2022年11月25日)
江戸時代以来、何人もの人が讃岐国府を探し求めてきたが、長い時間、特定できなかったが、1970年からの発掘調査により、坂出の府中町に特定さ れ、2020年には国の史跡に指定された。出来るだけ早い時期に国府跡を探索したいものである。(2023年1月25日)
「古希の歳を迎えて」の「小説」
私・土井湖南は、千葉県市原市姉ケ崎の忠僕・市兵衛を知って、その墓のある姉ケ崎の妙経寺を訪れようとして、元の職場の部下・石丸春子さんが姉ヶ崎在住であるのを思い出し、案内を依頼するが、石丸春子さんのご厚意により、妙経寺のみならず姉ヶ崎の史跡や遺跡をめぐることになる。そして姉埼神社を訪れるが、神社を出たところの民家で起こった殺人事件の第1発見者となる。名探偵の友人・栗栖庸介は大阪赴任中であり、その活躍は期待できない。果たして事件は?(2023年6月5日)
上総国分寺の殺人事件は5年後も未解決のままで迷宮入りの様相を呈してきた。そのようなとき大学教授・栗栖庸介が偶然この事件に遭遇し、名推理で事件を見事解決に導く。土井湖南は庸介の高校の先輩だが、共通の趣味が古代史という縁もあり、庸介と懇意にしている。庸介の事件解決に協力し、その活躍を記録に残した。(2023年1月15日)
私・土井湖南の友人である大学教授・栗栖庸介の活躍により「上総国分寺殺人事件」が解決した。その約半年後、私は丸亀城で殺人事件に遭遇し、殺人犯の疑いをかけられそうになったので、
疑いを晴らすべく栗栖庸介に相談する。そして彼の助言により、私への疑いが晴れ、やがて事件は見事に解決する。庸介は高校の後輩だが、日本古代史が共通の趣味であり懇意にしている。(2023年2 月15日作)
明智光秀の正室煕子と側室ふさ 明智光秀の正室煕子と側室ふさ(小説風)
ふさは、明智光秀の糟糠の妻と言われた煕子に仕えていたが、煕子の死後光秀の側室になり数奇な運命を辿る。光秀の敗死で上総国市原郡不入斗の西光院に逃れ、光秀の忘れ形見・重五郎を産むが、その後百姓として暮らす。やがて世の中が安定し、お家再興の光秀の使命が果たせなくなったことを自覚するが、子孫に明智光秀末裔の誇りを伝えることに執念を燃やす。「自分の戒名を明智との繋がりを示す『貞明智佟禪尼』とし墓に刻むこと、息子や孫に明智の出自の土岐姓を名乗らせる」ことを遺言し、あの世に旅立つ(2024年1月20日)
「本州四国連絡橋は海難事故に苦しむ四国四百万人の人々の長年の夢であり悲願であった。三つのルートのうちの最初の岡山県倉敷市と香川県坂出市を結ぶ「瀬戸大橋」は世紀の難工事と言われたが、この建設の指揮を執ったのが本州四国連絡橋公団坂出工事事務所の所長・杉田秀夫であった。
杉田は、総工費1兆1,300億円、のべ人数900万人が関わった大プロジェクトを、艱難辛苦のうえ成功に導き、部下から「真のリーダー」とか「男が惚れる男」との異名で呼ばれることもあったという。その偉大な功績を称えられ、一土木工事事務所長でありながら、坂出市番の州町 にある瀬戸大橋記念館(香川県立博物館)に銅像が建てられた。」